今まで山梨では信玄と呼ばれた人が2人います。
1人目は皆さんご存知のように武田信玄です
これはあまりに有名ですよね^^
信濃、駿河と攻略して100万石の大大名の人物です^^
さて、もう1人の信玄さんは誰でしょうか?
時代は明治時代ですね~^^
この時点で勘のいい人はわかったかもしれません¥^^
そう、山梨の誇る今信玄!!
田村怡与造!!
この人は明治時代に日露戦争にそなえロシア軍と戦うためにロシアを研究していた人です。
本来は川上操六という陸軍きっての秀才が作戦や攻略の担当をしていたのです。
ですが過労がたたりなくなってしまいました。ロシアとの戦争がさけられないと考えた陸軍は川上
操六のあとに田村怡与造を指名しあとを継がせました。
実は日露戦争における旅順要塞以外の会戦はほぼこの二人によって書かれた作戦といっていい
ぐらいのものです。
しかし!!
そんな今信玄と呼ばれた田村怡与造も過労がたたり開戦4ヶ月前になくなりました><
もともとロシアと日本では戦争にならず勝とうとするのが無理なことでしたが負けてしまえば亡国
になってしまう。そのことをよくわかっていたため無理を重ねていたと思います。
田村怡与造がなくなったあとは皆さんご存知かと思いますが児玉源太郎が対露戦に備えて研究を
引継ぎます。
ちなみに旅順要塞ができたのは児玉源太郎が引き継いだあとです。
ここからの話は児玉源太郎の話になってしまいますのでここいらで終りにします。
私が言いたいのは甲斐、山梨というのは信玄が2人いるということです。
1人は戦国時代の大大名の武田信玄
2人目は日露戦争開戦4ヶ月前に亡くなった田村怡与造
そして、私としてはもっと田村怡与造が有名になってほしい。
だって日本を勝利へ導いた1人なのですから^-^
※信玄は3人でした><
3人目は山梨の政治家の金丸信です。ちょっと詳しいことはわかりません><すいません><
田村は娘のせいでよく書かれないのですよ。
返信削除山梨半造と本間雅晴に嫁いでるのですが、二人とも奥さんのせいで、大事なところで味噌がついてしまったという経歴があるんです。
ちなみに金丸信も今信玄と一時期名乗ってましたよw
コメントありがとうございます^-^
返信削除なるほど、そういう事情があったのですね><
娘さんのことは存じ上げませんでした。教えてくれてありがとうございます^-^
金丸信もなのっていたのですね・・・w
山梨には信玄が3人いたw訂正しておきます^-^